どんな時も市民のために、信念をもって誠心誠意に活動します!

来訪御礼!

 ‘小さな里の大きな祭り’小野御柱祭が5日夕、3日間の日程をすべて終えた。朝夕は少々冷え込んだものの、3日間ともほぼ天候には恵まれた。前回よりも多くの観光客が訪れ、御柱ムードを存分に楽しんでもらえたのではないか。シャトルバス利用者との細やかな交流も楽しかった。憑の里の最大の地域資源でもある御柱祭を、対外的にアピールする観光PRについては一定の役割を果たせたと思う。改めて、この地を初めて来訪し、御柱祭を満喫して頂いた観光客に感謝したい。
 御柱祭最終日の5日は半日、シャトルバスの停留所に立った。午前はチロルの森駐車場、午後は上田区御柱奉置所近くへ。本日は約80人が利用、4日が約130人、3日が約100人で計310人。周知が十分でなかった割には、多くの人が利用したのではないか。塩尻市内もいれば、遠くは名古屋からの人もいた。年齢的な割合は中高年が8割で、残りが30代前後の若者層。ネットで調べた人がほとんどのよう。意外だったのは若者男性が10人程度、単独で来訪していたこと。ある名古屋からの若者は「国道153号をずっと車で来ました。彼女とふたりより気楽でいいですよ」と淡々と話した。
 午後4時発の最終バスに乗り遅れた3人を自家用車で送った以外は、大きなトラブルもなかった。何より、観光客から苦情の一つも出なかったのには感激。バスの時刻案内が不十分だったり、乗車に10分以上待たせたが、不満を言う人は誰もいなかった。これは、御柱祭のもつパワーに感化され満足したに違いないと解釈した。
 チロルの森駐車場では、国交省の依頼により、観光客数を調査する業者と会話。担当者によると、道路整備の資料にするため、登録ナンバーの地域や任意のアンケートによる調査を実施。昨日は下伊那の大鹿歌舞伎、本日は小野御柱祭を対象にしたという。それにしても、国は目の付け所が違う。ちゃんと地域資源の何たるかを分かっている。さすがと言うしかない。県や自治体がGW中の賑わいを電話等で尋ねるのとは大違いである。半年以上かけて、ネット上でも観光PRしてきた甲斐があった。小さなことではあるが、個人的には大きな喜びなのだった。
(写真説明:5日午前、チロルの森駐車場に次々と入る乗用車。シャトルバス乗り場は一昨日途中から入り口へ移動した)

はらはらドキドキの…

 小野御柱祭初日の3日、小野神社では一之柱と二之柱の里曳き、建て御柱が行われた。薄曇りの天候の中、曳行がスタート。建て御柱の終盤、小雨模様となったが、けが人もなく初日の日程を無事終了した。今回初の試みとなった、御柱の現在位置を表示する位置情報システムも大きな問題もなく稼働。無料シャトルバスの運行は、どれだけの人が利用するのか不安な面もあったが、第1便を待つ人たちの列もでき、好調な乗車状況だった。あと2日間、目標とする来場者10万人の達成は果たしてなるのか!
 それにしても、はらはらドキドキであった。今回、小野おんばしら観光PRの一環で、信越放送SBCにお願いしてあったラジオカーのレポート。生中継のため、予定の変更は許されないはずだった。ところが、である。インタビュー5分前になっても、事前に打ち合わせた御柱一之柱実行委員長の姿が見つからない。大休憩中の御柱に乗って周囲を何度となく見渡しても、まったく発見不能。これは、まずい!ライブ2分前に、代役として同実行委員会祭事係長に急きょ依頼。ぶっつけ本番でインタビューに応じてもらった。
 「前回の御柱でも、インタビュー受けたぞ」と終了後、祭事係長の弁。空白の5秒もなく、事なきを得た。私のインタビューを含めて5分間のライブ中継だったが、本当に肝を冷やした。リポーターの久野さんは「生中継には、ちょくちょくハプニングがありますから-」。さすがは、ベテラン。祭事係長とは何の打ち合わせもなかったのに、上手にまとめてくれた。中継終了後、記念のツーショット撮影をして、彼女は「ちょっと、見物して帰ります」と笑顔を残して立ち去ったのだった。
(写真説明:ラジオカーレポート終了後に久野さん㊨と記念の一枚)

御柱シャトルバスを運行!

 いよいよ5月3日から、小野御柱祭が始まります。今回初めて、マイカーでお出掛けの観光客のために、無料シャトルバスを運行します。約2000台を収容する、信州塩尻農業公園「チロルの森」駐車場から、小野神社二之柱奉置所近くまでを結びます。
 順調なら所要時間は10分程度。5月3日と5日はバス1台で40分間隔の運行。御柱中日となる4日にはバス2台による20分間隔の運行となります。
 シャトルバス乗り場はそれぞれ、チロルの森が正面入り口前、二之柱奉置所近くが県道脇の農道で、案内看板が目印になります。奉置所から小野神社までは約800㍍で、約10分程度の徒歩となります。
 期間中の天候はまずまずの見込み。小野御柱祭観光推進協議会では、多くの皆さんのご来訪を心より歓迎致しております。どうぞお出掛け下さい!
(5月3日と5日のシャトルバス運行表)


 (御柱中日5月4日のシャトルバス運行表)

小野おんばしら本番へ

 小野御柱祭まで29日、あと4日と迫った。憑の里では、御柱ムードを盛り上げる沿道の飾り付けも進み、本番への準備が着々と進んでいる。小野神社では同日午後、木遣りコンクールも開催され、氏子ら46人が自慢ののどを競い合った。
 同コンクールは子供の部、女性の部、一般の部の3部門に分かれて実施。それぞれ26人、3人、17人が出場し、小野神社拝殿前をステージとして、エントリー順に課題の木遣り歌とさくりを披露した。
 やはり、本番になると、誰もが緊張するようで、中には出だしの諧調を高くしてしまったため、途中で高音部分が苦し紛れの声に。ここぞという気合ばかりが先行して、思わず上ずってしまう出場者も見られた。それでも、ほとんどが5月3日から始まる里引き祭に向けて、多くの練習を重ねた成果を存分に披露していた。


(写真説明:木遣りコンクールの最後に、全員で木遣りを唄う入賞者たち)

御柱観光の準備も着々

 小野おんばしらで観光客を迎える準備も、着々と進んでいる。臨時観光案内所に位置情報システム、シャトルバス等、これまでになかった一般観光客の受け入れ態勢が整いつつある。
 「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と云われるのは、諏訪への対抗意識の現れそのものであるが、お祭り男たちの自己顕示欲でもあるのだ。だからこれまで、小野御柱というのは小野神社、矢彦神社の二つの御柱祭の総称なのだが、双方が協力し合って観光PRをすることなど、一切なかったのである。
 長年の懸案であったが、今回初めて、統一的な観光PRを展開できるようになったのである。楽しむ祭りから、魅せる祭りへ。そんな意識の転換も必要であり、観光産業にも成り得ることを地域の人たちが自覚してほしいと願うばかりである


小野御柱祭は粛々と

 東日本大震災による甚大な被害状況を受けて、5月3日から始まる小野御柱里曳き祭をどうするのか、両小野地区振興会は31日、関係者を集めて今後の方針を協議した。その結果、外部団体に依頼するイベントは縮小する一方、里曳き祭そもののは従来通り行うことを確認した。
 里曳き祭で御柱の曳行直前には、小野神社と矢彦神社の各柱ごとに被災者の冥福を祈って黙とうをささげることを確認。また、県太鼓連盟や自衛隊の音楽隊等に依頼する演奏と塩尻市内の長持ち連による巡行は中止とした。これ以外で、すでに発注してしまった備品による地区内への飾り付けは原則、従来通り行うとした。
 この協議は、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の被災を受け、地元に「御柱祭そのものを中止すべし」など自粛を求める声があったため、急きょ関係者に呼び掛けて開催された。
 今回、振興会に専門委員会として初めて小野御柱祭観光推進協議会を設置してあったことで、双方が足並みを揃える対応ができた。矢彦神社側には「神事だけに縮小しろ」という強硬な意見も寄せられたという。一方、「中途半端にやったら返って神様に申し訳ない」や「直接の被災地ではなく、復興を願う形にすればいい」という前向きな意見も出された。7年目に1度の小野御柱祭が自粛ムード一色にならずに、祭りを通じて地域の元気を発信できる形になったのは、個人的にも良かったと思う。

復興願う山出し祭終了

 東日本大震災の復興を祈願した小野神社御柱の山出し祭が27日、無事終了した。北風が冷たく感じられたものの、昨日の雪模様から一転、晴天に恵まれた。氏子たちは三之柱と四之柱をそれぞれ気分よく奉置所まで曳行。2日間にわたった山出し祭をけがもなく終えた。
 このうち、四之柱は北小野宮前区が中心に担当。霧訪山の麓から約1・5キロの道のりを曳いた。日陰の林道には昨日の残雪もあり、曳き出しは坂道を一気に下らないように慎重に曳行。里に下りると、日差しの温もりが感じられ、氏子たちの祭り気分もピークへ。トラック荷台をステージに仕立てたアトラクションでは御柱ソングや踊り、木遣り歌を披露。氏子たちの熱気はほろ酔い気分も手伝って最高潮に達していた。
 同大震災の影響は、地方にも仕事の段取りや日常の生活にも広がりを見せる。長野県内では5月GWの宿泊予約が12,000人余もキャンセルになったとも聞き、観光業界には大きなダメージだ。今回の御柱山出し祭は今後の生活にも、暗い影を落とす最中での開催であった。一木遣り隊のメンバーから率直に云わせてもらうと、イベントをやや縮小しながらも従来通りに挙行できて本当に良かったと思う。なぜなら、やるべき祭りをやって晴の気分を発散させないと、次へと向かうエネルギーを十分に取り込めないからである。

(写真説明:被災地への黙祷、神事に続き曳行の出番を待つ小野神社四之柱)

小野神社山出し祭始まる

 小野神社山出し祭が26日、始まった。雪の降る寒中並みの冷え込みとなったが、予定通り一之柱と二之柱を曳行。氏子ら800人以上が集い、それぞれの奉置所まで曳きつけた。本当に3月下旬とは思えない陽気。氏子たちは東日本大震災の復興を願いながら、憑(たのめ)の里の元気を届けようと寒さに負けない意気込みを示していた。
 このうち、一之柱は北小野大出区が担当。元綱、梃子衆、木遣り隊等のメンバーに加え、氏子ら400人余りが参集。花火に続き青年団の木遣りを合図に曳行が開始された。昼食を挟んだ1時間程度の大休憩では、青年団が踊りを披露したほか、御柱ソングとして今回初めてCD制作した演歌調の「綺羅祭唄」と音頭調の「TANOME(たのめ)」の二曲をステージ発表。お祭りムードを存分に盛り上げた。
 山出し祭前の3月11日には東日本大震災が発生、一時はイベントの縮小も検討されたが、運営費の一部を義援金とすることでほとんどの催事は予定通り開催された。さすがに七年目に一度の御柱祭、現代のスポーツ行事とは違って、伝統の行事である。被災地をお見舞いする気持ちは当然ながら、自分たちの地域まで元気を失ってはいけないという心意気は大事である。そう、自分たちの地域がいま平穏にあることに感謝し、この祭りの熱い思いを改めて氏子たちが共有して元気になることで、被災地支援へのパワーを喚起することだってできるはずだ。

(写真説明:寒中のような陽気の中、奉置所へと向けて曳行される小野神社一之柱)