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ヨーカドー進出と撤退の明暗

 イトーヨーカドーを中核とする大型ショッピングモール「アリオ上田」に30日、立ち寄った。上田市訪問は約10年ぶり。あるコンサルと面談する機会があり、その帰り道に寄ってみた。昨年2月には、ヨーカドーが塩尻市大門のウィングロードから撤退しただけに興味があった。大手流通グループが推進する商業新展開が、映画館のシネコンを含めて、飲食店や専門店を集積させたコミニティー型ショッピングセンター(CSC)だとすると、塩尻市からの撤退は必然だったと云える。それだけに、行政側が「撤退しない」と公言し続けたのは余りに見通しが甘かったと言わざるを得ないだろう。
 同モールのグランドオープンは今年4月21日。専門店は県内初出店33を含む66店舗。JR上田駅の東側約450㍍にある日本たばこ産業(JT)上田工場跡地に建設。延べ床面積は47,300㎡。三井物産との合弁会社が開発した。特徴的なのは、大型SCであっても上田市の中心市街地活性化基本計画で「まちづくり新拠点」として位置付けた点だ。既存商店街の活性化とは明らかに逆行するが、「市民交流センターとの共存」とした塩尻市の同基本計画と比べた場合、ヨーカドー側からすると、どちらを選ぶのか、その優位性は歴然である。また、最大の競合相手であるイオンが近場や佐久市で同様の複合施設を展開する同一の商圏。コンサルの指摘だと「商圏の中心軸は佐久市へ移りつつある」のが現状だ。上田市が地元雇用を最優先課題として、積極的な誘致合戦を展開したとしても不思議ではない。この点からも、塩尻市は都市間競争に負けたのである。
 同モールを訪れたのは平日の昼過ぎ。開店から1カ月余りだが、結構な賑わい。中高年層や幼児をもつ母親らが目立った。趣味と実益を兼ねて食品売り場を中心に見て回った。品揃えは低価格商品は元より、やや値が張る商品もあり豊富。一番驚いたのは、国内最高ブランドの松坂牛があったこと。食肉コーナーの切り売りショーケースに約3分の1。都内有名百貨店のデパ地下並みの充実ぶり。スーパー「ツルヤ」軽井沢店でも見かけたことがなかったので、県内唯一の品揃えなのだろう。でも、100gで2,000円もしたら、庶民の私には中々手が出ません。
 
(JR上田駅近くのJT工場跡地にオープンした「アリオ上田」)=グーグル画像より

ツイッターは市民メディアである

 久々のブログ更新である。この間、パソコン(PC)を開けば、まずはツイッター(TW)が8割、フェイスブック(FB)が2割といったところ。朝晩合わせて2,3時間。新聞やテレビの視聴は勢い落ちた。ツイッターを始めて約3カ月。3月11日の東日本大震災を契機に利用者が急増したのを実感するとともに、その‘つぶやき’情報は玉石混交ながら、新たな市民メディアとして十分に確立したと言えるだろう。
 そもそもツイッターを始めたのは、個人的なIT指南役でもあるブログ制作者の助言から。今年2月下旬からツイートを開始。最初は古いPCで書き込み速度が余りに遅く、たった140文字でも基本ソフト(OS)がウィンドウズMEでは適応せず。そのため、3月初旬には最新のPCへ。しかし、「とにかく、つぶやき続けて」と指南役の言葉通りにするも、1週間前後はまったく反応なし。ところが、劇的に変化したのは3月11日からだ。信頼する知人らフォロワー数人からのツイートが増え始め、フォローを増やす度にその情報量も一気に急増。ツイートにあるリンクからは大震災の津波動画をはじめ、福島原発の動向、元原子炉設計者の解説、科学者による放射性物質の説明などなど、確度の高い情報が瞬時に得られた。この時には、テレビや新聞のニュースは必要なしとも思えた。
 ほかにも、TWから初めて知り得た情報は数多い。例えば「民主党石井紘基衆院議員殺人事件」の背景。石井氏が誰よりも一早く国会特別会計の問題を捉えて特殊法人とファミリー企業の闇を追及したこと、殺人容疑の被疑者が右翼構成員でその動機が不可解なこと。また、米国同時多発テロに伴う冤罪被害者にニューヨーク在住の日本人女性がいたことも、初めて知ったことだった。このような情報にたどり着けるツイッターは、本当にすごい!と驚くばかりだ。

初夏へ空気が華やぐ

 薫風に乗って空気が一気に華やいだ。甘美な香りが急に混じり出した。昨日は今年初めての真夏日。動植物は敏感に反応するものなのか。特に草花は、初夏に向けて蜂や蝶などの虫たちを盛んに誘っているようだ。
 ところで、20年以上前、学生時代の前後に東京暮らしをしていた。その頃は、季節感を女性の装いから判断。ヒューマンウォッチングと云えば聞こえがいいが、当時は若かったので単なる好みの女性探しだ。駅のホームや大学前、繁華街など場所はどこでも。今のようにストーカーという言葉もなし。時代はバブル全盛期。貧乏学生もなぜかウキウキ、イケイケだ。5月下旬ともなれば、薄着になる時期。目の保養には一番いい季節だったと記憶する。
 当時は20代のお気楽世代。季節感はもっぱら視覚からだった。今は窓を開ければ、耕作放棄地の緑も多い中山間地の大自然の中。時折、農道を霧訪山へ向かうミドルな‘山ガール’が歩く程度である。なので、年のせいか、自然の移ろいに対して、視覚よりも嗅覚や聴覚の感覚が研ぎ澄まされたように思う。
 自然の「甘美な芳香」を感じたのは初体験である。気温が今年初めて夏日の25℃以上となったことで、草花の最適化スイッチがオンとなり、山野草の花も一気に開花。花から多くのフェロモンが放出されたのだろう。その夜、水田周りのカエルの鳴き声も勢いを増したように感じた。

 
 

見えない弱者たち

 見えないというのは、外見上はまったく健常者と同じで、その内面の障碍は分かりにくいということ。具体的に言えば心に病を抱えた精神障碍者たち。皆さんの周りにはいないだろうか。意識しないと分からないのかもしれない。うつ病や統合失調症、アルコール依存症等。専門家でないので、その違いはよく分からないが、近年は随分と増えているように思う。「年間の自殺者が3万人」。その予備軍といえるのかもしれない。
 私の周りには、友人や知人、業務上の関係者等で6人は知っている。友人の中には、元技術者や元公務員だった人がいる。10年以上、その病の治療中だったり、休職療養後、復帰したが、結局、1年後に退職している。元技術者の彼は「一日にこれだけ薬を飲むんだよ」とタバコの箱よりも一回り程大きいタブレットを見せてくれたことがある。「もらっている障碍者年金はこの程度だよ」と数万円の額面が入った振込書を見せたのは元公務員の友人。二人とも長年の友人で、学生時代からの付き合いがある。ともに性格は誠実で、仕事熱心だったと思う。
 それぞれ具体的な病名が違っているが、共通するのは本当に体調がいい時しか会うことができないこと。病気に伴う負の側面はまったく見たことがないし、見せたがらないのかもしれない。「鬱は心の風邪」とも云われ、誰でもなる可能性が十分にある。社会的にはメンタルヘルスの必要性が叫ばれてはいるが、そのケアから社会復帰へのバックアップは地元の自治体を見ても十分でないように感じる。

話題の「岳‐ガク‐」を観た

 「また、山においでよ」の映画ではない。山岳救助のヒューマンドラマであるから、むしろ山の怖さの方が前面に。なので、この映画を観て山に登りたいと思うのは、それなりの経験者だろう。穂高連峰や八方尾根等の北アルプスがロケーションされているから、「ああ、あそこだ」と楽しめるのは、長野県内でも少数派かもしれない。
 原作は小学館「ビックコミックオリジナル」連載の漫画。最近は青年向け漫画雑誌を余り見ないので、そんな漫画がそう云えばあったなという程度の印象しかなかった。かつて「見てから読むか。読んでから見るか」という角川文庫のキャッチコピーがあった。けれど、これは漫画が原作であるから、余り気にしなくてもいい。小栗旬や長澤まさみのファンというだけでも、十分に楽しめる映画でしょう。
 それにしても、中高年層が多かった。入りは平日でも6割程度。夫婦や女性グループが目立った。景気が悪いせいか、「これはどう見ても夫婦じゃないよな」という中年男と若い女性のアベックは見かけなかった。60歳以上のミドル夫婦割引のためか、その男女が多いこと。さすがは団塊の世代である。夫婦でも違和感がないけれど、誘ったのはたぶん奥様なのでしょう…。

(写真説明:北アルプスのロケで話題の映画「岳‐ガク‐」)

「カケスが巣をかけた…」

 5月中頃のこの時期になると、新聞記者駆け出しの苦い思い出が頭に浮かぶことがある。「自宅の庭にカケスが巣をかけたから取材に来て」と読者から電話。当時、新人は3人。だれだと思うと、デスクと目が合ってしまった。
 原付バイクを駆って取材先へ。坂が急な新興住宅地の一角。たどり着くまでに大分迷ったが、玄関先で話を聞いた。カケスの巣は高さ2㍍位の庭木の枝にあった。塀によじ登ったりしながら、やっとのことで巣を写真に収めた。ここからが大変。本当にカケスのものなのか、確認作業である。野鳥の会支部役員に電話し、卵の色や巣の形状、素材を尋ねた。結局、確証が取れずに終わり、原稿にならなかったと記憶する。
 そして、翌日の電話。「あなたが巣の周りをうろうろするから、カケスが卵を放って、どっか行っちゃったじゃない」。そんなこと言ったって…。その読者の指示により、卵を回収。その先はどうしたか、記憶がない。この時からだろうか。夏の花火で有名なビュースポットの公園で昼休みにふて寝するようになったのは…。

(グーグル画像より:カケスがこんな綺麗な野鳥だったなんて、当時の記憶にはない)

気が付けば初夏へ

 気が付けば初夏の装いである。5月中旬の信州は一気に花盛りかと思言えば、新緑の芽吹きも勢いを増す。野鳥たちも元気。16日の今朝は、憑の里で初めてカッコウのさえずりを聞いたように思う。
 ブログは4日ぶりの更新。「最近は更新が遅いね」と熱心な訪問者の声も。ツイッターはほぼ連日、2・3回は勝手気ままに呟いているものの、ちょっとブログは構えているのかもしれない。こちらも、‘Take It Easy!’といきたい。
 ところで、昨年から興味本位で始めた農的生活。昨年の失敗はハーブのバジル栽培。種から芽が出ると虫に喰われ、買ってきた苗を植えると、マルチに接した葉が日焼け。「どうにでもなれ」と放っておくと、元気な苗だけが見事に生育した。昨年は随分とトマト料理に活躍したが、乾燥バジルを作るのだけ忘れた。今年は3日前に苗3本を植えたが、果たして…。

(写真説明:自宅庭先の山椒の芽。これからの季節、冷やっこのお伴に欠かせない)
 

永遠のライバル!?

 もう、4年間は執筆することがないであろう、塩尻市議会「議会だより」のコラム「議会あれこれ」に予定稿としていたネタを紹介しましょう。

 ◇深志VS 県陵。中信地方では、何かとライバル視される両高校である。気にするしないは別にして、周りがそう見がちだ。だが、最近は状況が違うようだ。これがねじれた格好なのが市長VS議員と、市職にみる部長VS課長。同窓対決なのである。ガチンコか冷戦かは想像にお任せである。

 以上、結果的に日の目を見なかった原稿である。‘同類相憐れむ’ことは決してないのかも。文章で揶揄するだけで笑って済ませることを切に願っているのだが。前者の場合は、どうもお後が…。

1年ぶりの…

 腰の手術から3年。1年ぶりの定期検査で10日、安曇野赤十字病院を訪れた。同病院は昨年12月、グランドオープンして新たな施設に様変わりしていた。入院中の当時、病室の窓からは建設中の施設がよく見えたものだった。新しかろうが古かろうが、腰の激痛から早く解放してほしいという願いの方が先だったことを思い出す。
 椎間板ヘルニアの手術をしたのは平成20年4月27日。退院したのが5月7日だった。入院前後に激痛を抱えた時の処置や旧病院の様子は今でも鮮明に覚えている。車いすに乗って移動する際に、床の微妙な段差が腰の痛みを増幅させたこと。MRIを利用しながら神経根ブロック注射した時の痛みと冷や汗。さらには、手術後にリハビリ目的でウォーキングした病棟内の様子や匂いの記憶等は、はっきりと思い出せる。
 それにしても、新病院は近代的な施設に一新。松本歯科大学病院のように、再診受付や診療支払には自動機械化の導入である。さすがに最初は戸惑う。えっ、何をどうしたら?案内なしには再来受付機の使い方が分からなかった。銀行ATMのようでもあるが、診察カードを入れてどうするのか、お金が出てくる訳でもないし、その先の操作に戸惑ってしまった。
 定期検査では、まずレントゲン撮影である。以前はそのフィルムを持って診療室へだったが、これが電子化。医師のデスクにあるモニターに、過去の画像も含めてすぐに映し出せるシステムへ。カルテもパソコンを使って記入である。さにがに、もうドイツ語は不要という感じ。医師にとっては都合がいいのか悪いのか。ただ、患者からすると、訳の分からない横文字よりも、記載内容が分かるのは確かである。
 電子カルテが現実となった。今後はICチップを埋め込んだカードによって、診察情報の共有化がほかの病院や診療所とできるかだろう。実現は近いように思う。患者側からは、病院が替わると再度同じような検査を何度もしないよう願うばかりだ。



(写真説明:近代的な施設に一新された安曇野赤十字病院)

来訪御礼!

 ‘小さな里の大きな祭り’小野御柱祭が5日夕、3日間の日程をすべて終えた。朝夕は少々冷え込んだものの、3日間ともほぼ天候には恵まれた。前回よりも多くの観光客が訪れ、御柱ムードを存分に楽しんでもらえたのではないか。シャトルバス利用者との細やかな交流も楽しかった。憑の里の最大の地域資源でもある御柱祭を、対外的にアピールする観光PRについては一定の役割を果たせたと思う。改めて、この地を初めて来訪し、御柱祭を満喫して頂いた観光客に感謝したい。
 御柱祭最終日の5日は半日、シャトルバスの停留所に立った。午前はチロルの森駐車場、午後は上田区御柱奉置所近くへ。本日は約80人が利用、4日が約130人、3日が約100人で計310人。周知が十分でなかった割には、多くの人が利用したのではないか。塩尻市内もいれば、遠くは名古屋からの人もいた。年齢的な割合は中高年が8割で、残りが30代前後の若者層。ネットで調べた人がほとんどのよう。意外だったのは若者男性が10人程度、単独で来訪していたこと。ある名古屋からの若者は「国道153号をずっと車で来ました。彼女とふたりより気楽でいいですよ」と淡々と話した。
 午後4時発の最終バスに乗り遅れた3人を自家用車で送った以外は、大きなトラブルもなかった。何より、観光客から苦情の一つも出なかったのには感激。バスの時刻案内が不十分だったり、乗車に10分以上待たせたが、不満を言う人は誰もいなかった。これは、御柱祭のもつパワーに感化され満足したに違いないと解釈した。
 チロルの森駐車場では、国交省の依頼により、観光客数を調査する業者と会話。担当者によると、道路整備の資料にするため、登録ナンバーの地域や任意のアンケートによる調査を実施。昨日は下伊那の大鹿歌舞伎、本日は小野御柱祭を対象にしたという。それにしても、国は目の付け所が違う。ちゃんと地域資源の何たるかを分かっている。さすがと言うしかない。県や自治体がGW中の賑わいを電話等で尋ねるのとは大違いである。半年以上かけて、ネット上でも観光PRしてきた甲斐があった。小さなことではあるが、個人的には大きな喜びなのだった。
(写真説明:5日午前、チロルの森駐車場に次々と入る乗用車。シャトルバス乗り場は一昨日途中から入り口へ移動した)

はらはらドキドキの…

 小野御柱祭初日の3日、小野神社では一之柱と二之柱の里曳き、建て御柱が行われた。薄曇りの天候の中、曳行がスタート。建て御柱の終盤、小雨模様となったが、けが人もなく初日の日程を無事終了した。今回初の試みとなった、御柱の現在位置を表示する位置情報システムも大きな問題もなく稼働。無料シャトルバスの運行は、どれだけの人が利用するのか不安な面もあったが、第1便を待つ人たちの列もでき、好調な乗車状況だった。あと2日間、目標とする来場者10万人の達成は果たしてなるのか!
 それにしても、はらはらドキドキであった。今回、小野おんばしら観光PRの一環で、信越放送SBCにお願いしてあったラジオカーのレポート。生中継のため、予定の変更は許されないはずだった。ところが、である。インタビュー5分前になっても、事前に打ち合わせた御柱一之柱実行委員長の姿が見つからない。大休憩中の御柱に乗って周囲を何度となく見渡しても、まったく発見不能。これは、まずい!ライブ2分前に、代役として同実行委員会祭事係長に急きょ依頼。ぶっつけ本番でインタビューに応じてもらった。
 「前回の御柱でも、インタビュー受けたぞ」と終了後、祭事係長の弁。空白の5秒もなく、事なきを得た。私のインタビューを含めて5分間のライブ中継だったが、本当に肝を冷やした。リポーターの久野さんは「生中継には、ちょくちょくハプニングがありますから-」。さすがは、ベテラン。祭事係長とは何の打ち合わせもなかったのに、上手にまとめてくれた。中継終了後、記念のツーショット撮影をして、彼女は「ちょっと、見物して帰ります」と笑顔を残して立ち去ったのだった。
(写真説明:ラジオカーレポート終了後に久野さん㊨と記念の一枚)

御柱シャトルバスを運行!

 いよいよ5月3日から、小野御柱祭が始まります。今回初めて、マイカーでお出掛けの観光客のために、無料シャトルバスを運行します。約2000台を収容する、信州塩尻農業公園「チロルの森」駐車場から、小野神社二之柱奉置所近くまでを結びます。
 順調なら所要時間は10分程度。5月3日と5日はバス1台で40分間隔の運行。御柱中日となる4日にはバス2台による20分間隔の運行となります。
 シャトルバス乗り場はそれぞれ、チロルの森が正面入り口前、二之柱奉置所近くが県道脇の農道で、案内看板が目印になります。奉置所から小野神社までは約800㍍で、約10分程度の徒歩となります。
 期間中の天候はまずまずの見込み。小野御柱祭観光推進協議会では、多くの皆さんのご来訪を心より歓迎致しております。どうぞお出掛け下さい!
(5月3日と5日のシャトルバス運行表)


 (御柱中日5月4日のシャトルバス運行表)