どんな時も市民のために、信念をもって誠心誠意に活動します!

小野おんばしら本番へ

 小野御柱祭まで29日、あと4日と迫った。憑の里では、御柱ムードを盛り上げる沿道の飾り付けも進み、本番への準備が着々と進んでいる。小野神社では同日午後、木遣りコンクールも開催され、氏子ら46人が自慢ののどを競い合った。
 同コンクールは子供の部、女性の部、一般の部の3部門に分かれて実施。それぞれ26人、3人、17人が出場し、小野神社拝殿前をステージとして、エントリー順に課題の木遣り歌とさくりを披露した。
 やはり、本番になると、誰もが緊張するようで、中には出だしの諧調を高くしてしまったため、途中で高音部分が苦し紛れの声に。ここぞという気合ばかりが先行して、思わず上ずってしまう出場者も見られた。それでも、ほとんどが5月3日から始まる里引き祭に向けて、多くの練習を重ねた成果を存分に披露していた。


(写真説明:木遣りコンクールの最後に、全員で木遣りを唄う入賞者たち)

撤収完了!

 選挙事務所の撤収が27日、完了した。約800坪の用地に建てた仮設のプレハブ。電気、電話の引き上げ工事も併せて実施。何でもそうだが、撤収作業というのは時間的に早いものだ。
 仮設プレハブは広さ約8坪。面積4坪のものを2つ合わせたものだった。業者が4tトラック2台で訪れ、接続部分を外してユニックで吊り上げ、30分程度ですべてを終えた。一番難儀したのが路面の補修。用地は草地であったものの、2度の雨により車の轍で凸凹に。鋤簾だけでは歯が立たないため、自家用車をローラー替わりにして何回も往復して補修したのだった。
 今回、プレハブを建てる予定だったのは、別の用地だった。急きょ変更したのは、4tトラックが国道交差点から入れなかったため。急なお願いだったが、86歳の老女は二つ返事で快く貸してくれた。「若い人のためになるなら」。ありがたいお言葉だ。一人でも戦う、と孤軍奮闘を心に決めていたが、こういった人たちの思いが選挙戦での大きな心の支えであった。


(写真説明:草原の小さな宇宙船のようだった選挙事務所)

ブログライターなるもの

 ブログライターなる仕事があることを初めて知った。ブログは日記であるから、当然、自分で書くものばかりだと思っていた。ところが、ネット検索で調べると、見事にヒットした。ウェッブサイトやホームページには管理人がいるから、その流れからすれば、本人に代わって第三者が書いても不思議ではない。
 それにしても、便利な時代になったものだ。ネットで検索して、ライター登録、メールで業務の案内と確認、業務実施に伴う請求と支払までも、ネット上ですべてが完了してしまう。今まで、まったくそんな環境の変化を知らなかったアラフィー世代にとっては新鮮な驚きである。8年ほど前まで、出版・新聞業界にいた者からすると、本当に隔世の感だ。少々寂しいことではあるが、改めて同業界の退潮を実感してしまう。
 ライター求人のサイトによれば、ブログライターに就いている人たちは副業者がほとんどのようだ。学生や主婦、会社員をはじめ、熟練のブロガーやフリーライター、中には小説家を目指す人もいる。多彩な顔ぶれである。それだけ、ブログ全盛といえる時代なのか。ただ、本当に仕事として成立するのか、一抹の不安も。その経過はまた、こちらのブログで紹介してみたい。

市民ジャーナリスト宣言!

 結果は結果である。残念ではあるが、動かし難いものである。最後まで決して曲げなかった、政治的信念の自負だけは残った。今さら過去をとやかく云っても仕方がない。これからである。
 今までは、地方議会のステージで多くの政治的発言をしてきたが、それはできない。これからは副業的に少々だった著述業を本格的に復活させなければいけない。現在の政治的スタンスがあるのも、新聞記者時代に培ったものが基本にある。当時も大上段に振りかざしてはいなかったが、底流にあったジャーナリズムと反骨の精神が今の自分がある原点である。
 さて、何から始めるのか。具体的なテーマはまだ絞ってはいない。現代にあっても、「水戸黄門」や「必殺仕事人」さながらの‘悪代官’と‘悪徳商人’の構図は必ずいつの日にか、具体的につまびらかにしなければいけない課題の一つだろう。 

現実の厳しさを噛みしめて

 塩尻市議会議員選挙は24日、投開票が行われた。同日深夜には、その結果が判明し、22人の議員が決まった。今回、3期目の挑戦をしたものの、奮闘虚しく、当選を果たすことができませんでした。
 やはり、現実の厳しい壁は相当に厚く、新たな取り組みも結果には結び付かずに終わった。根本的には、組織体制が十分に整わなかったことが大きな敗因だろう。最後まで熱心に支援して頂いた方々には、本当に申し訳なく思う。
 今後については、一夜明けたばかりで頭の整理がつかず、全くの白紙状態。しばしの休息の上で、改めて考えるようにしたい。これまで2期8年間を支えて下さった有権者をはじめ、友人や隣近所の方々、1カ月程度の発信だったものの、ブログを熱心に訪問して頂いた方々にも、心からの感謝を申し上げたい。本当にありがとうございました。

市議選本番、いざ勝負!

 塩尻市議会議員選挙が明日の17日、告示される。定数22に対し、25人が立候補を予定。少数激戦の様相である。1カ月ほど前までは無投票との観測もあったが、その後、新人2人、元職1人が名乗りを上げ、選挙戦が濃厚となった。大震災の影響を受けて、選挙ムードは盛り上がりを欠くとされる。しかし、国難への対応を巡っては地方といえども、今後の交付税や補助金の減額が見込まれる。ただでさえ、厳しい財政状況の中で、どんな市政運営がいいのか、選挙戦を通じて論戦をしなければと考えている。
 さて、個人的には、今回の選挙戦はネットワーク型の運動体が果たして構築できるのか、と思っている。従来のトップダウンで引締めを図っていく組織型に対抗し得るものだ。緩やかな連合体として、それぞれの個がフラットに繋がり、その役割を担うためにネットワークを組むものである。組織論を展開するつもりはないが、簡単に云えばICT(情報通信技術)も活用しながら政策やキャラクターを訴えるネット型となるのだろう。選挙活動そのものはネット上では禁止されているが、近い将来は常識になるはずだ。
 そうは云っても、である。現実は決して甘くない。どれだけ個別に有権者に合って顔つなぎができるかが、勝敗を分けるとされる。このため、候補者への親しみやすさとつながりの濃淡が優先され、具体的な政策の内容で選ぶ環境からは程遠いのかもしれない。そんな矛盾を日々抱えながらの3期目への挑戦である。
 これまで、もっと政策的な内容をブログで訴えるつもりだったが、自分の感覚に基づいて日々の雑感を綴るものになってしまった。それでも今日まで、ブログを訪問して頂いた方に感謝したい。明日から7日間はお休みである。いずれにせよ、明日からはいざ、勝負なのである。

じわり、商店にも震災の影

 東日本大震災から1週間前後に見られた、買占め等の衝動的な消費行動はなくなった。一方で、震災により生産拠点が影響を受けたことで、商品が供給できない状況が続いている。スーパーやコンビニでも、一部商品がストップしたり、「1人につき1個」の販売制限をするコーナーも目立つようになった。
 以前、ブログで納豆について指摘したが、一大生産地の商品が納入されないために、中小メーカーの商品が並ぶ。そもそも、生産能力が低いため、勢い販売数も少なくなる。牛乳は紙パックの生産が追い付かないために、一時供給不足に陥ったが、最近は落ち着いた。一方、ヨーグルトは「1人につき1個」の販売制限が目立つ。これは汚染源乳の廃棄等により、原材料不足によることが原因なのかもしれない。
 愛煙家にとって厳しいのは、たばこ銘柄の著しい不足。昨年10月の値上がりを物ともせず、たばこ消費税を納め続ける優良納税者たちは、吸いたい銘柄が消滅してしまう方が実はつらいのかも。「いい加減、やめたらどうなの」の声が、またまた聞こえて来そうだ。私の耳元を含めて…。

御柱観光の準備も着々

 小野おんばしらで観光客を迎える準備も、着々と進んでいる。臨時観光案内所に位置情報システム、シャトルバス等、これまでになかった一般観光客の受け入れ態勢が整いつつある。
 「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と云われるのは、諏訪への対抗意識の現れそのものであるが、お祭り男たちの自己顕示欲でもあるのだ。だからこれまで、小野御柱というのは小野神社、矢彦神社の二つの御柱祭の総称なのだが、双方が協力し合って観光PRをすることなど、一切なかったのである。
 長年の懸案であったが、今回初めて、統一的な観光PRを展開できるようになったのである。楽しむ祭りから、魅せる祭りへ。そんな意識の転換も必要であり、観光産業にも成り得ることを地域の人たちが自覚してほしいと願うばかりである


ネット環境にアラフィーも

 自分のブログを開設して、1カ月と10日が経った。ようやく、ツィッターやフェイスブックを含めて、新しいネット環境にも慣れてきたところである。この間、生活のリズムで一番変わったのは、テレビを見る時間が激減したこと。従来なら1日平均2時間程度見ていたが、現在はニュースに朝ドラ等で30分になった。若者たちがテレビを視聴しない理由も、よく分かった気がする。なんせ、ネットの方が断然面白いもの!
 アラフィー世代としては、遅い方の口かもしれない。情報収集の手段とすれば、新聞やテレビ、雑誌、メールが中心で、時々ウェブサイトを覗いたのが従来だった。ブログ更新の習慣づけもあるが、ツィッター(TW)とフェイスブック(FB)への対応によって、劇的に変化した。何より、TWの情報提供の速さには舌を巻いた。
 その契機は、やはり東北関東大震災の発生だ。それまでは、TWとFBともに登録して1週間程度は何ら大きな変化なし。どうしたら、フォローされるのか、友達が増えるのか、悩みの種だった。ところが、ところがであった。震災発生から時間を追うごとにツィートが増えること、増えること。しかも、その情報が迅速で正確なのにはビックリ仰天!サイト添付もあることで、情報の内容に深みも出た。元新聞記者からすると、途轍もないメディアの出現である、と実感したのであった。
 

やっぱり、来たァ~!

 すごい、やっぱり日本でも、こういうことが起きるんだ。東京の高円寺に10日、反原発の若者ら15,000人が集結、デモ行進を決行のニュース。地方紙の信毎には統一地方選前半戦の報道が中心で、この関連は一行もなし。たぶん、非購読なので分からないが、朝日、読売、毎日、産経の大手四紙にも、掲載なしなのでは。いよいよ、報道機関の信頼性はネットニュースに取って代わる時代へ突入だ!
 テレビニュースはNHKしか見ないけれど、昨晩は選挙関連ばかりで一切放送しなかったと思う。新聞も含めて日本の報道機関は、こうなのだ。中東や中国のデモはしきりにニュースにするのに、国内のデモとなると、さっぱり。そんなことでは「社会の木鐸」が泣くのではないか。最も、もうそんなつもりはないのかも…。
 日本のマスコミによる世論喚起は、すでに時代の役割を終えたのかもしれない。中東で相次いだ民衆の暴動が政権交代につながったのは、ネット環境の向上が大きい。当然、要因はこれだけではないが、国民の、中でも若者の不満がピークに達して、それぞれがネット上の「いいね!」で膨大に繋がると、そうなるのだ。日本の政府、警察、マスコミはうかうかしてられない。

前半戦の投票日に、春本番!

 統一地方選の前半戦の結果が10日夜にも判明する。全国的には東京都知事選が注目の的か。地方から見ていると何かとっても、ちぐはぐな感じだ。3月末の告示前は、計画停電による節電の影響で北朝鮮のピョンヤンのようなイメージだし、そこに注目候補が直前に出馬。タレント候補が浮いたというか、影がとっても薄い感じがした。非常時の生活防衛の方に、都民の関心が向いてしまって、スマートな首都圏東京がやけに小さく思えた。
 一方で、長野県議選はどうなのか。全体的には、震災による自粛ムードが影響して低調な選挙戦だった。投票率も上がりそうにない。ただ、次はまな板のコイになるだけに、候補者の必死さはよく分かった。訴えが何か届かないという、歯がゆさもあったのではないのだろうか。
 確かに、風もなく穏やかな快晴となった今日の天候からすると、投票率の上昇には貢献しそうもない。けれど、春爛漫のような穏やかな陽気が震災後の自粛ストレスを吹き飛ばし、信州の春を見つける気分になったのは間違いないだろう。
 
 

運気とは、まか不思議

 運気とは、奇妙で不可思議なものである。こちらはまったく意識しないが、結果として吉になることが多い。力尽くで強引に物事を推し進めたり、しゃかりきになればなるほど逃げたりするから、本当にまか不思議である。
 運気には下降期と上昇期があるという。下降期の後半が大切とされ、上昇期に転じるまでの過程で、どれだけの創意工夫を重ねたのかで次の成果が用意されるらしい。ごもっともであるが、下降期当初は、落ち込んだと思う時は休むのが一番である。メンタルヘルスの観点からも、まずリラックスして「待てば海路に日和あり」と思うことである。
 それにしても、である。不幸が立て続けにあったり、急病で臥せったり、関係者が被災したりと思わぬことが続く事例もあるので、注意されたしである。
 

小中一貫教育がスタート!

 両小野学園(愛称)の開園式が7日、両小野小学校であった。両小野中も含めて9年間の小中一貫教育が本格的な幕開け。小中学校クラブの合同合奏や全児童生徒による合唱などで、そのスタートを祝った。
 この一貫教育の最大の特徴は住民サイドの提言により始まったこと。県内では唯一であり、全国的にも教育委員会等の行政主導がほとんどの中で、相当珍しいはずだ。そもそもは5年前、組合教育委員会の提案を受け、両小野地区振興会が主体となって住民説明に当たった。これを踏まえ、2年前から教育現場で検討委員会が組織され、具体的なカリキュラムや交流事業の研究を重ねていた。
 今思えば一番のポイントは、組合教育委員会に民間人が入って経営の視点が持ち込まれ、組織が活性化したこと。従来のように、校長経験者や区長会元出身者だったら、そんな発想も出なかったと思う。要は行政任せにしてまうと、改革はなかなか進まないことも明らかになったと思う。
 開園式では、小学校長が一貫教育の概略を説明。小1と小4、中1がクラスを組む等の「兄弟学級」も紹介された。塩尻市長や辰野町長が祝辞を述べたほか、小中学校の児童生徒代表も新たな教育の展開に期待を込めた。この後、合同合奏として「ふるさと」や「虹」を発表。また、全校児童生徒が歌「この星に生まれて」を元気よく披露した。最後に、児童会と生徒会の初の合同事業として大震災の義援金を集める取り組みに理解を求めた。



(写真説明:両小野学園の開園式で「この星に生まれて」を一緒に歌う小中学生) 

押印がない!?

 長野地方法務局松本支局で先日、市議選の立候補に伴う供託書を作成してもらい、30万円を日本銀行松本支店へ納めてきた。思い出すのは前回、4年前のこと。まさか、そんなこともあるのかと、びっくりした。
 普通に供託書に住所、氏名を書いて申請、その供託書をもって日銀の窓口に行ったところ、「押印がないので」と受領を断られた。そうは云っても、法務局で出されたもの。すると、日銀裏口の会議室へ案内され、待つことに。
 15分もすると、法務局の総務課長が自転車でかけつけ、「申し訳ございませんでした」。公印をその場で押してくれた。それでようやく、30万円を無事、納めることができた。まあ、ちょっとした珍事である。こちらとしては、法務局で出したものに公印がないなんて、まったく気が付きもしない。
 このことがあってかどうかは不明だが、公印を押さなくてもいいように、供託書の原本に印影が写し込まれるようになった。自らの失敗を改善した、行政側の好例かも。

信州の遅き春に

 4年に1度巡ってくるもの…。当然、オリンピックやワールドカップではございません。どちらかと云うと中高年が熱心で、観衆も含めてスポーツとはまったく逆であります。それでも、‘お宅訪問’を重ねると、足腰の鍛錬になるかもしれません。ただ、有酸素運動にならないので、お腹回りのシェイプアップは期待できません。
 前置きが長くなりましたが、4月初旬は寒暖の差があり、穏やかに晴れた昼間以外はまだまだ寒さがに身しみます。そう、歩きながらも、春の訪れを待ち遠しく思うのです。時には世間の風は冷たいと思いながらも、唯一心温まるもの。それは路傍や庭先の草花です。雪が舞い、すこぶる寒いと感じても、すっと背筋を伸ばしたような水仙の芽や可憐な黄色い花の福寿草に元気づけられる。
 信州の春は確かに遅い。けれど、人間がまだまだ寒いと感じる陽気であっても、草花はちゃんと芽を出し、花を咲かせる。そんな様子に、こちらは本当に勇気をもらうのである。もう半月もすれば、一気に萌え出ように草花が華やぐ信州の春が訪れる。

(写真説明:庭先で見つけたクロッカス。信州の遅い春に可憐な彩りを添える)

すわ、一大事!?

 昨日正午過ぎ、携帯に火災通報の緊急メール。北小野で山林火災発生の一報だ。ちょうど、ある会社の人と打ち合わせを終えて、近くにいた。おや、周りを見渡しても煙が見えないぞ。車を高台まで走らせたが、そこでも分からず。すると5分後、消防車がサイレンを鳴らして走行するのを見かけ、すかさず後を追いかけた。現場に到着するも、またも煙が見えずだ。
 数分後、現場が違うということで、再度移動し、火元の現場に到着した。すでに家人らによって初期消火したが、燻る煙もあったため、広域消防局のタンク車が放水して無事鎮火となった。延焼面積は250㎡程度。現場は山林脇の畑で、家人がぼや焚きをしていたところ、風に煽られた周辺の土手や山林に燃え広がったらしい。幸い林道が防火帯のような役割をして、延焼を食い止めた格好である。
 本当に大事に至らずによかった。昼ごろは強い春風が吹いていただけに非常に危惧された。思い起こされるのは5年程前の松本市浅間の山林火災。春彼岸の墓参りで線香に火をつけようとした火種が、風に煽られて山林に燃え広がったのが原因だった。今回は無事、事なきを得た。この時期は春の強い風が吹き、山林は非常に乾燥しているだけに、今後の春耕シーズンを控えて十分に注意したいものだ。



まさか、こんな所にまで…

 コーヒーブレイクで1日夕刻前、塩尻市内の焙煎コーヒー店に立ち寄った時のことである。レジ脇の壁に、これまでなかった掲示板があるではないか。そこには喫茶コーナーで使用している食材の産地が明示されていた。
 牛乳、レタス、キュウリ、キャベツなどなど。それぞれに、どこどこ産と県名の紙が張ってあった。店員に尋ねると、「お客さんが気になさるから」とのこと。まさか、まさかである。
 長野県から直線距離でも300キロ以上あると思われる、福島第一原発による放射能の影響が、こんなところにも現れた格好だ。一般市民の感覚からすれば、当然のことなのかもしれないが、大分違和感を覚えた。まさに見えない放射能の怖さなのか…。

小野御柱祭は粛々と

 東日本大震災による甚大な被害状況を受けて、5月3日から始まる小野御柱里曳き祭をどうするのか、両小野地区振興会は31日、関係者を集めて今後の方針を協議した。その結果、外部団体に依頼するイベントは縮小する一方、里曳き祭そもののは従来通り行うことを確認した。
 里曳き祭で御柱の曳行直前には、小野神社と矢彦神社の各柱ごとに被災者の冥福を祈って黙とうをささげることを確認。また、県太鼓連盟や自衛隊の音楽隊等に依頼する演奏と塩尻市内の長持ち連による巡行は中止とした。これ以外で、すでに発注してしまった備品による地区内への飾り付けは原則、従来通り行うとした。
 この協議は、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の被災を受け、地元に「御柱祭そのものを中止すべし」など自粛を求める声があったため、急きょ関係者に呼び掛けて開催された。
 今回、振興会に専門委員会として初めて小野御柱祭観光推進協議会を設置してあったことで、双方が足並みを揃える対応ができた。矢彦神社側には「神事だけに縮小しろ」という強硬な意見も寄せられたという。一方、「中途半端にやったら返って神様に申し訳ない」や「直接の被災地ではなく、復興を願う形にすればいい」という前向きな意見も出された。7年目に1度の小野御柱祭が自粛ムード一色にならずに、祭りを通じて地域の元気を発信できる形になったのは、個人的にも良かったと思う。