どんな時も市民のために、信念をもって誠心誠意に活動します!

灯台もと暗し

 ‘灯台もと暗し’ー。身近なことでも意外に知らないことが多いもの。そんなことに改めて気付く今日この頃でも…。
 郷土の偉人関係者はその一つに入るように思う。名前はある程度聞いたことがあっても、詳しい人物像は不案内であったり、もしくはまったく未知であったりする。
 最近、そうであったのが「台湾近代美術の父」とされる画人の郷原古統(本名・藤一郎、1887-1965)。塩尻市広丘堅石が郷里。昭和初期にかけて台湾の中学高校の美術教育等に従事し、台湾在住が20年間に及び、近代美術初期の形成に尽力したという。
 高潔な人柄は多くの弟子たちに慕われ、昭和37年には同市広丘の自宅前に台湾の弟子たちによって顕彰碑が建立された。国内に比べて台湾での評価が格段に高い画業の持ち主。同氏の夫人も歌人として活躍し、多くの短歌を残したようだ。
 文化的な遺産や偉業はまだまだ身近にありそう。郷土に未だ眠っている「お宝」を一つでも多く見つけたいものですね。


〔郷原古統の作品〕

 
 

霧訪山笑う-どうぞ新緑の里山へ

 「ひろげたる屏風のごとく山笑う」(加藤三七子)
 風薫る五月に入り、連日続く初夏の陽気。信州たのめの里の北西に聳える、霧訪山(標高1,305m)は競うように芽吹く新緑がとても眩しい。
 その山麓の上の原から眺める同山はまさしく紹介した俳句のごとくである。ゴールデンウィーク(GW)の後半に突入した2日もハイカーの姿が。
 同山は登山の初心者をはじめ中級者も十分に楽しめる里山。程よい登り応えと360度の頂上パノラマが好評だ。登山ルートは十分に整備されており、健脚者なら山麓の駐車場から往復約2時間、初心者でも3時間程度あれば帰って来られる。朝起きて天気がいいと思い立った時でも、半日あれば十分に楽しめる山なのだ。
 新緑の淡い濃淡と伴に山桜もまだまだ楽しめるので、どうぞGW後半にでもお気軽に里山の自然を楽しんでは如何でしょうか。

花盛りな里の風景に加えて新緑や山桜も存分に楽しめるGWの霧訪山





‘政経分離’の時代なのか…

 かつて20年ほど前まで、国内にあっては、政治と宗教の分離、政治と経済の一体化は常識的に当然のことであった。ところが、今では、前者は政治的な問題に浮上せず、後者はその分離する意識が当たり前のようになってしまった。
 それは経済的な階層が、裕福と貧困に二極化し、その中間にある中流層が少なくなったためだろう。労働規制の緩和により、非正規労働が常態化したことが主な要因である。これにより、高度成長時代に言われた「一億総中流」の親世代はリタイアし、その孫子はその意識さえもない。
 非正規による両親の共働きも一般的になると、普段の生活を維持することだけがやっとになってしまう。国民健康保険にも加入していないと、突然の病気や怪我により病院で診療を受けると、保険の効かない高い医療費を払うことに。それをきっかけに家庭が貧困に陥るケースもある。
 こうして、非正規労働が労働人口の3割を占めるような時代になると、生活に追われることが日常となり、精神的な余裕もなくなって政治的な問題点にも気づかなくなる。国が仕掛けた法制度により、国民が苦しい実情さえも訴えることがなくなるのは、統治する権力側にとってはある意味願うところなのかもしれない…。

山岳ガイドに憧れて

 最近、山岳観光ガイドを目指す夫に連れ立って、松本市へIターンした20代女性に出会った。男性は福岡県、女性は石川県の出身という。女性は施設園芸の農家でアルバイト中だ。
 新たに国民の祝日「山の日」(8月11日)が設定されたことで、山岳観光への関心が集まる昨今。山岳県の信州・長野県に住んでいると当たり前すぎて、すぐそこにある雄大かつ風光明媚な山岳風景や緑の多い自然環境に、毎日のようには感動しないのかもしれない。
 確かに個人的にも、その地から離れて東京で生活した大学生時代、山の風景がないことが寂しくて山岳同好会に所属し、本格的に山登りを始めたことを思い出す。高校時代は部活動でバレーボールに熱中、標高3千m級の山々が連なる北アルプスは通学の車窓から眺めるだけの対象に過ぎなかったのに、である。
 だから、出身地でもなく一度でも山登りの素晴らしい感動を味わった人ほど、憧れの地への思いは募るかもしれない。若者の就職状況は近年、良好になりつつあるとはいえ、かつての経済高度成長期のような安定した生活基盤は得難い時代。就職しても長引く低成長により、将来の生活設計は見通せない。
 そんな時代だからこそ、自分のやりたいことを目指す気持ちも強くなるのだろう。内向きで他人との交流を避ける若年層が多いとされる中、チャレンジングな志を持つ若者に出会うと、こちらも誇らしく嬉しい気持ちになる。
 「主人がどうしてもって言うから。農業のことはよく分からないけど、仕事はとっても楽しいですよ」。女性の溢れる笑顔から、夫と伴に歩む新たな生活の充実ぶりが伝わって来た。
 

‘雪かき詐欺’が発生!?

  塩尻市宗賀地区で昨日の26日、‘雪かき詐欺’のような事案が発生したようですね。市職員を名乗って、無料で自宅前の雪かきをしましょうと進言。ついては、その上で○○をという話向きのようですが、幸いなことに実害はなかった模様ですね。
  行政の緊急メールでは「市が個人宅を訪問して雪かきをすることはない」と告知、注意を喚起しておりました。けれど、逆に云えば、それだけ同市内の除雪対応が不十分な証でもあり、詐欺の仕掛け人は油断ならない情報通でもあると言えそうですね。
  何れにしても、善良な市民の歓心を買って巧みに騙す詐欺師には十分にご注意下さいませ!!


暦通りの「立春」!?

 ここ数日、春を思わせるような陽気である。寒中なのにこんなに暖かくていいのだろうかとも思ってしまう。昨年末の長期予報だと、厳冬予測だったはずなのに…。
 信州たのめの里も寒冷地返上でまるで避寒地のような暖かさ。この時期に霧訪山懐の畑に雪がない立春なんて本当に珍しい。暖冬でもこんなことはなかったように思う。先週は雨の日が2日間もあったから、雪が融けてしまうのは当然と云えば当然であるけれど。
 このまま本格的な春の訪れになるほど、甘くないのが信州の冬。今日は日中の方が気温が低くなって厳しい冷え込みに戻りそう。ちょっと油断しているとインフルエンザの逆襲に遭ってしまうかもしれませんね。ノロウィルスとともに要注意ですよ~!(^.^;

 
(畑の雪も見事に融けてしまった立春の霧訪山山麓)
 
 
地図はこちら


「カケスが巣をかけた…」

 5月中頃のこの時期になると、新聞記者駆け出しの苦い思い出が頭に浮かぶことがある。「自宅の庭にカケスが巣をかけたから取材に来て」と読者から電話。当時、新人は3人。だれだと思うと、デスクと目が合ってしまった。
 原付バイクを駆って取材先へ。坂が急な新興住宅地の一角。たどり着くまでに大分迷ったが、玄関先で話を聞いた。カケスの巣は高さ2㍍位の庭木の枝にあった。塀によじ登ったりしながら、やっとのことで巣を写真に収めた。ここからが大変。本当にカケスのものなのか、確認作業である。野鳥の会支部役員に電話し、卵の色や巣の形状、素材を尋ねた。結局、確証が取れずに終わり、原稿にならなかったと記憶する。
 そして、翌日の電話。「あなたが巣の周りをうろうろするから、カケスが卵を放って、どっか行っちゃったじゃない」。そんなこと言ったって…。その読者の指示により、卵を回収。その先はどうしたか、記憶がない。この時からだろうか。夏の花火で有名なビュースポットの公園で昼休みにふて寝するようになったのは…。

(グーグル画像より:カケスがこんな綺麗な野鳥だったなんて、当時の記憶にはない)

気が付けば初夏へ

 気が付けば初夏の装いである。5月中旬の信州は一気に花盛りかと思言えば、新緑の芽吹きも勢いを増す。野鳥たちも元気。16日の今朝は、憑の里で初めてカッコウのさえずりを聞いたように思う。
 ブログは4日ぶりの更新。「最近は更新が遅いね」と熱心な訪問者の声も。ツイッターはほぼ連日、2・3回は勝手気ままに呟いているものの、ちょっとブログは構えているのかもしれない。こちらも、‘Take It Easy!’といきたい。
 ところで、昨年から興味本位で始めた農的生活。昨年の失敗はハーブのバジル栽培。種から芽が出ると虫に喰われ、買ってきた苗を植えると、マルチに接した葉が日焼け。「どうにでもなれ」と放っておくと、元気な苗だけが見事に生育した。昨年は随分とトマト料理に活躍したが、乾燥バジルを作るのだけ忘れた。今年は3日前に苗3本を植えたが、果たして…。

(写真説明:自宅庭先の山椒の芽。これからの季節、冷やっこのお伴に欠かせない)
 

永遠のライバル!?

 もう、4年間は執筆することがないであろう、塩尻市議会「議会だより」のコラム「議会あれこれ」に予定稿としていたネタを紹介しましょう。

 ◇深志VS 県陵。中信地方では、何かとライバル視される両高校である。気にするしないは別にして、周りがそう見がちだ。だが、最近は状況が違うようだ。これがねじれた格好なのが市長VS議員と、市職にみる部長VS課長。同窓対決なのである。ガチンコか冷戦かは想像にお任せである。

 以上、結果的に日の目を見なかった原稿である。‘同類相憐れむ’ことは決してないのかも。文章で揶揄するだけで笑って済ませることを切に願っているのだが。前者の場合は、どうもお後が…。

やっぱり、来たァ~!

 すごい、やっぱり日本でも、こういうことが起きるんだ。東京の高円寺に10日、反原発の若者ら15,000人が集結、デモ行進を決行のニュース。地方紙の信毎には統一地方選前半戦の報道が中心で、この関連は一行もなし。たぶん、非購読なので分からないが、朝日、読売、毎日、産経の大手四紙にも、掲載なしなのでは。いよいよ、報道機関の信頼性はネットニュースに取って代わる時代へ突入だ!
 テレビニュースはNHKしか見ないけれど、昨晩は選挙関連ばかりで一切放送しなかったと思う。新聞も含めて日本の報道機関は、こうなのだ。中東や中国のデモはしきりにニュースにするのに、国内のデモとなると、さっぱり。そんなことでは「社会の木鐸」が泣くのではないか。最も、もうそんなつもりはないのかも…。
 日本のマスコミによる世論喚起は、すでに時代の役割を終えたのかもしれない。中東で相次いだ民衆の暴動が政権交代につながったのは、ネット環境の向上が大きい。当然、要因はこれだけではないが、国民の、中でも若者の不満がピークに達して、それぞれがネット上の「いいね!」で膨大に繋がると、そうなるのだ。日本の政府、警察、マスコミはうかうかしてられない。

運気とは、まか不思議

 運気とは、奇妙で不可思議なものである。こちらはまったく意識しないが、結果として吉になることが多い。力尽くで強引に物事を推し進めたり、しゃかりきになればなるほど逃げたりするから、本当にまか不思議である。
 運気には下降期と上昇期があるという。下降期の後半が大切とされ、上昇期に転じるまでの過程で、どれだけの創意工夫を重ねたのかで次の成果が用意されるらしい。ごもっともであるが、下降期当初は、落ち込んだと思う時は休むのが一番である。メンタルヘルスの観点からも、まずリラックスして「待てば海路に日和あり」と思うことである。
 それにしても、である。不幸が立て続けにあったり、急病で臥せったり、関係者が被災したりと思わぬことが続く事例もあるので、注意されたしである。
 

まさか、こんな所にまで…

 コーヒーブレイクで1日夕刻前、塩尻市内の焙煎コーヒー店に立ち寄った時のことである。レジ脇の壁に、これまでなかった掲示板があるではないか。そこには喫茶コーナーで使用している食材の産地が明示されていた。
 牛乳、レタス、キュウリ、キャベツなどなど。それぞれに、どこどこ産と県名の紙が張ってあった。店員に尋ねると、「お客さんが気になさるから」とのこと。まさか、まさかである。
 長野県から直線距離でも300キロ以上あると思われる、福島第一原発による放射能の影響が、こんなところにも現れた格好だ。一般市民の感覚からすれば、当然のことなのかもしれないが、大分違和感を覚えた。まさに見えない放射能の怖さなのか…。

健やかに育て9人の卒園児

 塩尻市北小野保育園で25日、卒園式があり、9人の年長児が巣立った。最近の卒園児は10人前後。40年前と比べれば4分の1程度だ。小規模な保育園ながら、心温まる演出にいつもほろっとさせられている。
 卒園児たちは皆、この日のための洋装で入場。正面の雛壇に一列に並んだ。それぞれ卒園証書を受け取ると、小学1年生になったらの抱負。「算数の引き算を頑張りたい」「お掃除をしっかりと」「プールでクロールをしたい」等のほか、中には「国語、算数、理科、社会を頑張りたい」と欲張りな発言には、思わず笑い声も上がった。
 いつも心憎いと思うのは、この1年を四季折々の写真スライドと伴に歌や合奏、呼びかけで振り返る演出。最後の歌の時には泣きじゃくってしまう女児にはついつい感動の涙も。50歳の声もすぐそこにある者にとっては、遥か昔の卒園の記憶はまったくないに等しい。でも、地元の保育園とその行事はたぶん、見守る多くの大人たちのためにあるのだと実感してしまう。

(ステージバックの写真を挿入するはずが、まだ編集方法が不明です)

話題の「議会あれこれ」没原稿

 たぶん、4月15日号の塩尻市議会「議会だより」に掲載されることが不可能となった。当初は「議会あれこれ」の原稿だったが、日の目を見ることがなくなったので、ここで発表したいと思う。没となったのは「ブラックな表現では誰も分からない」のが理由なのである。
 それでは、その原稿の内容を以下に記します。
◆「はだかの王様」-。言わ
ずと知れた有名な童話である。
王様のことを子どもが「王様
は裸だ」と云うから成り立つ。
これを大人が云うと、なぜか
ミステリーかサスペンスにな
る。何も特定の組織のことで
なく、どこにでもいるという
話である。さて、だれか?
 解説は敢えて付けないが、行政に関係した事象である。皆さんは議員が匿名で書くこのようなコラムについて、どのような感想をお持ちなのだろうか。

「だれがやっても同じ」

 これから4月にかけて、統一地方選挙の話題に事欠かなくなるだろう。いつも決まって聞かれる、若者の言説が「だれがやっても同じだ」「まったく関心がない」というコメント。同じように成人式でも判で押したように新聞に登場する。なぜ、こうなってしまうのだろうか。
 一つには、十分に満ち足りた豊かな社会に育ち、食べることにも不自由がなく大きな不満がないという見方。また、親へのパラサイトという‘駆け込み寺’があって、最後の非暴力的な抵抗手段として引きこもりを覚えたこと。後者はうがった見方かもしれないが、社会人の中にも心の病などから意外と陥る人が増えているように思う。
 何れにせよ、若者が発言して行動しなくなったら、今はよくても、将来の日本の社会にとっては大きなマイナス。投票行動も放棄するから、政治は投票率の高い高齢者に目を向けて、特に年金や医療、福祉には十分な配慮をする。近年は若者に厳しい雇用情勢にあるのだから、将来の日本を支える自分たちのために「年金よりも仕事をよこせ」と声を上げるべきだと思うのだが…。

 

定年後の腰掛か

 市民タイムスの記事に以前あったが、市議会議員選挙の新人候補が高齢化してるという話題。ほとんどが60歳以上であり、定年後の出馬を目指すというものだ。何とも寂しい状況で、議席が定年後の腰掛のようになっていいものかどうか…。
 確かに、地方議員のおかれている現実は厳しい。名古屋市議会を例に挙げるまでもなく、報酬や政務調査費等に対する市民の目は統一地方選が近づくにつれて、候補者のそれへの姿勢が問われるのは間違いないだろう。
 だからといって、出馬する新人が定年後の年金や生活が安定した人たちばかりで、いいのだろうか。社会、経済環境が厳しい中にあっては、やはり若い世代、30~40代の青年層が出てこないと、政治的にも社会を変革するエネルギーがしぼんでしまうように思うのだが。市民の皆さんはいかがお考えだろうか。

バックが大きい?!

 「バックが大きいから引き受けた」とは、新人の後援会役員の弁である。「バック」とは行政組織のトップと商工団体のトップであるらしい。不思議なもので、この2人は表向き意見が合わず、反目しているはずである。ところが、なぜ一致するのか。
 行政のトップにおいては、反目する現職議員を潰したい。一方、商工団体のトップは自ら社長を務める開発会社で、老朽化する別荘地の下水道施設を行政に引き取ってほしい。これにより、2人の思惑が一致したため、共に周知な関係にある新人候補が浮上したのだ。
 このような話は水面下のものだが、今後、確実に政治的に大きな問題となってくるはずである。なので、有権者には枝葉末節の流言等に惑わされることなく、その背景もきちんと見極めてほしいと思う。

千里の道も―。

 いよいよ本格始動です。誰よりも出遅れ感は否めませんが、たとえゴールが千里の先でも着実に歩みを進めます。
 本来なら、現職であるから先行すべきですが、元々バレー部出身の体育会系であり、相手が手強ければ手強いほど燃える性分ですので、磐石とされる新人の後姿をしっかりと追いかけます。そして、最後の最後に、たとえ胸の差であっても追い着き追い越せばいいのですから…。
 ある意味、選挙戦はトライアスロン鉄人レースかもしれません。今回は前回にない〝飛び道具〟も充実。さあ、いよいよ、1カ月余にわたる戦闘の開始であります!

ツィート・フェイスの乱れ打ち

本日は塩尻市議会本会議の一般質問の最終日。
自宅のPCはOSやブラウザが古いため、ツィッタ―とフェイスブックの乱れ打ちを昼休みにした。議会会派室にあるPCからである。何とツィートは9日ぶりで、もはや季刊誌並みの更新だ。FBは昨日に続いてなので、まあまあのペースか。
どうもツィートはもはや、つぶやきではないし、FBは仕様が分からないままの一方的な発信なのである。
そして、ブログ。何をどうしていいものやら…。
思いつきの乱文ではいけないし、まだまだそぞれの違いが分からないの日々が続くのでしょう。
皆さん、それでもよろしく!


話題の「議会あれこれ」

信濃毎日新聞でも2回にわたって取り上げられた塩尻市議会「議会だより」1月15日号の議員コラム「議会あれこれ」をここで紹介しておかなければならない。以下に私が執筆したものだけを。

◆〝鬼の形相〟―このような顔を初めて拝見した。ある理事者の顔がみるみる強張るではないか。
その視線の先には何と注目の人物が。代表質問初日、傍聴席に威風堂々現れたのだ。その時には、
理事者席に向かって笑顔で手を振ったとか、振らなかったとか。

この程度の短文なのだが、なぜか市長は非常にオカンムリ。
皆さんに感想を伺いたいものである。