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〚しおじり行脚考記16〛~五日市場~

 一面雪の原の畑の中に市場があったとは想像が付かない。弥生から平安時代の住居跡もあったとされる。江戸時代の街道整備を端緒に、現代までの街並みが形成されるのは400年有余。この期間よりも弥生から平安の時間軸の方がずっと長いから、後者の存在は当時の価値観からすれば相当な意味があったのであろう。
 塩尻市誌によると、この付近は中世に5・15・25の日に立っていた三斎市にかかわる場所として注目。この市場は農村型の市として、郷農民を対象に地域的な物資交換の場として機能。物資としては米や雑穀類、野菜などの余剰生産物と、青そや絹などの織物原料。他に商人により塩・魚介類・油などの食料品を中心に、農具や陶器類なども持ち込まれた。
 道路についてみると、高出和出から花見、下西条から大小屋を通り、この地へ向かう形で、それぞれ市道の地名も。この北側の中挟地区にかけて大規模な古代集落があり、これを支える豊かな水田が低地帯を中心に古代から展開。中世には塩尻郷の中心地域へと発展し、市が立っていたとされる。
 さらに、塩尻は古代から東山道が通過する交通の要衝であり、地理的優位性の下、豊かな水田地帯を背景に街道に沿って市が成立してきたと推測。一方で、五日市場だけが地名として現在まで残る事実を考えると、天保14年の古文書から近世初期まで市立てが行われていた可能性もあるとする。
 何れにせよ、現代に至るまで、ずっと塩尻が交通の要衝であり、その歴史は想像以上に随分と長い。それは西暦を超えて2千年以上である。その中心軸は東西南北へと移ることはあっても大した距離ではない。こうした歴史的事実を踏まえ、今一度、交通の要衝の意義を再考する時期なのかもしれない。
— 場所: 五日市場(塩尻東桟敷)
〚しおじり行脚考記16〛~五日市場~
 
 
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